ETUDE

さよならする夜の東側

仕事はライスワークです。

絶賛ニート中。賃貸アパートは契約したままに実家に退避中。かといって実家の居心地がいいわけでもない。なんだかなぁ。仕事決まって働くまでの期間をループしてたい。海外旅行したい。

 

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もう当分は転職活動したくないし、もう失敗したくないし、もうやり直せる年齢でもないから、もし辞めても同業他社で生きていけるようなスキル・経験の身につく仕事に就きたい一心で転職活動を行っています。同業他社でいいならすぐ働けるのだろうけど、もうそっちじゃなくて、こっちに舵を切らないとまた辞めることになるぞ、私。もういい年齢だろ現実みろ。と言いきかせて頑張っています。

 

そうはいっても、昔からやりたいことってなくて、今も特になくて、ただ昔から変わらないのが「楽しく生きていきたい」という頭の中お花畑みたいな目標のみ。高校生のときに友人とやってた交換日記を数年前に読んでみたことがあって、友人はこの仕事に就く的な将来の夢を書いているのに、私はというと「楽しく過ごす」みたいなアホなことが書いてありました。救えない。今でも変わってないあたりが一番救えない。でも欧米っぽくていいとしよう。

 

というわけで、ここで働けたらいいなっていう企業の面接が来週あるので、直近の会社の退職原因考察しつつ働く上での自分的譲れない点を、備忘録的に箇条書きしながら脳内を整理しよう。書くことで、ああそういえばそうだったとか思う事あるし。なんせ喉元過ぎれば熱さ忘れる典型のような人間なので。

 

・基本的に残業はしたくない。全くしたくないわけではない。恒常的に忙しいというのが無理。せめて自分で調整したい。多趣味人間だし、脱ステ人間だからちゃんとご飯作って食べないといけないし、家帰ってから寝るまでの時間がほぼないとか無理です。仕事と家の往復、無理です。

 

・土日祝は休みたい。年間休日数125日がいい。土日はイベントいっぱいあるし、友人知人に会うにも土日休みが合わせやすい。日祝と平日どこか1日でも年間休日数は125日になるけど、できれば2日続けて休みたい。疲れがとれる。首都圏にいると土日休みは結構普通かもしれないけど、地方だと隔週土曜出勤というのが未だにあるところが多くて難儀。週6勤務とか無理。それでいて給料が少し多いのかというとそうでもない。せめて月1回土曜出社あり。働き方改革だの人手不足だのいうけど、隔週土曜出勤をやめてみる、とかから始めてはいかがだろうかと思っちゃう。

 

・みなし労働反対。額面みるとそれなりの給料なんだけど、手当ばっかり乗ってて、基本給はこれだけ!?みたいなやつ無理。いろいろある手当の中で一番厄介なのがみなし労働による残業代上乗せ。もちろん手当分の残業時間よりはやく仕事が終われば得するのだろうけど、かといってそんなどっさり手当がついてるわけもなく、結局超えるか超えないかといったそれ相応の手当であって、結局ギリギリ超えない、となるのがオチ。生活残業などしないので、残業した分だけ残業代ください。裁量労働制は現時点では危険に思う。欧州ならまだしも日本企業は怪しいので、絶対企業にいいように使われてしまう。

 

ここまでの3つは本当に譲れない基本の項目です。以下は、希望願望。

 

・正社員採用なら、昇級賞与退職金ありで。ただでさえ給与が少ないのに、昇級も賞与も退職金もないとか救えない。モチベあがらない。お金大好き。残業代はいわずもがな。働いたぶんください。せめて賞与はあり。1つの会社に何年もいることが当たり前な時代ではないから、退職金はまあ譲るか。3年くらい働いて経験積んだら転職するかもしれないし。でもよほどやりたい仕事で退職金がなかったら、ですね。

 

・老若男女いてほしい派。適度な雑談したい派。おばちゃんとワイドショーネタの話したり、おじちゃんと釣りの話したり、年齢近い子たちとどうしようもない話したり、年下に今の流行教えてもらったり。そういうことが大事だと思うのです。煙草休憩反対と思わない。対PC仕事の場合だけど、昼挟みつつも7・8時間ほどずっと集中して仕事するとか無理だから、適度に雑談とか休憩ほしい。煙草休憩反対するひとは、私たちは働いてるのに!とか言うけど、じゃあ自分らも息抜きやらネットサーフィンやらしたらよいのでは、とか思う。その方が作業効率あがるかもしれない。

 

・適度な人数ほしい。できれば公務員のように3年に1回配置換えしたい。飽き性につき。でもこれはまあ特に地方だと難しいと思ってるので、できたらいいなぁくらい。少人数の会社だと、社長や社長夫人のご機嫌をとる仕事という仕事が発生するのが無理でです。あまり上層部と近いのはだめです。上層部の話すような今後の会社の方針とか興味なす。決まったら教えてくれ、受け入れつつ同僚とあーだこーだ文句いうからさ。最初の会社が大企業でそれに慣れてるのもある。

 

つまるところ、就業時間内は効率重視でガムシャラに働くので、定時になったら帰りたい、少しでもはやく帰りたい。誰でもそう思ってるかもしれないけど、思ってる、だけでなく私は本当にそうやって生きていきたいので、忙しくてお風呂にはいる時間がないみなさん、という忙しいことがスタンダートになってしまっているセリフは嫌いです。欧州風に生きたい。こういうの言い出したらキリがないけど、今回の内容には関係ないのでやめておこう。

 

こんなところか。もっとあった気がするけど、書きながらも別のことに注意散漫状態なのでこれにて。友人と話してると、ああそういえばそうだったこれ譲れないポイントだった、って思い出すんだけども自分だけで思い出そうとするとだめですね。

 

他業種他職種の方面で仕事を探すことになった経緯も書きたい。そして脱ステのリバウンドはようやく9割ほど治ってきたもよう。あとあの部分だけじゃーい!そこが強敵じゃーい!

 

脱ステロイドのリバウンドって一体

私の地域も春めいてきて、日もすっかりのびて。友人宅でお茶をしていて、気づくと18時近くになってるほどには明るい。

 

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さて。同じアトピーである大学の友人が脱ステロイドをしたと聞いて、何の調べもなしに友人と同じ皮膚科にかかり脱ステロイドを始めたのが、忘れもしない2012年11月。

 

幼少期からアトピー体質ではあったけど、社会人になってからかゆみのレベルが増して、年1・2回くらい季節の変わり目にかゆくなって、皮膚科でステロイドを出してもらう日々。かゆみがなくなったら、ステロイド塗らない、というか忘れる。かゆみが酷かったら強いステロイドを出されたりして。その時のかゆみの程度は忘れたけど、1度、ステロイドの飲み薬も飲んだ記憶がある。飲み薬はやめとくべきだったなぁと本当に思う。

 

という日々が続いていて、なんかこれって根本解決じゃなくね?と思うようになった。そんなときに友人が脱ステロイドをしていると教えてもらい、友人が通ってた脱ステロイドを推奨している皮膚科に、結構すぐ受診しに行った記憶。

 

それからの最初の2ヶ月は本当に本当に、大変だった...脱ステ開始の翌月、12月は1ヶ月間仕事を休み実家に帰ったほどに。まあだいたいの辛いことは、喉元過ぎれば熱さ忘れる性格につき、そこまで詳しくは覚えてないのだけれど、脱ステ経験者のブログなどを読めば書いてあるようなことは、軒並み自分の身にも起きましたね。ただ、ステロイド使用期間や頻度が短いため、よくブログで見かけるような方々よりはリバウンド症状は激しくなかったなぁと思っている。それなりには酷かったけど。

 

リバウンド症状について覚えてる限りで箇条書きにしてみる。

・足の甲が腫れて歩きづらくなる

・体温調節機能がおかしくなり、寒い寒いと言ってた(風邪の寒気に近い)

ステロイドを塗ったことがある箇所を中心に体液が出まくる

・体液が固まってかさぶたっぽくなり、剥がれて、白い角質がぽろぽろ落ちる(落屑)

・朝起きたときの布団に角質いっぱい...毎日掃除機で吸い取る

・寝ると副交感神経になるので、かゆみが襲ってきてなかなか寝付けない

・でもなるべく掻いてはいけないので、耐える日々

・ありがたいことに顔だけは何も起きず(顔にステは塗ったことなかったし)

 

もっとあったような気がするけど、なんせ覚えてない...Twitterとかに書いてたかな...下調べもせず脱ステというレールに乗ってしまったため、後手後手でネットで「脱ステ リバウンド」で検索して情報を集める日々だったなぁ。怪しい高額な治療法はスルーして、なるべくお金のかからない方法で、でもちゃんと効果あるやつないかな、とか、そもそもこれいつかちゃんと治るんですよね!?みたいな不安を解消するために調べていたのかも。

 

脱ステは、脱保湿も併せて提唱されているけど、受診した皮膚科は脱保湿までは強く薦めてなくて、液状の保湿剤を出してくれるので塗ってた。あとリバウンドの特にひどい箇所には亜鉛華軟膏を。ただこれ、ほんっとうに面倒くさいから、本当にひどいところにしかやらなかったです...リバウンドで体液でてるとこ全てにやったらもっと治りも早かったのかもしれないのだけどね...亜鉛華軟膏が服につくと取れなかったり、肌から落とすときはオイルを使って落としてあげないといけないしさ...面倒くさいの極み。実家療養中はもうどうなってもいい服を着ていましたけどもね。

 

とりあえず1ヶ月だけ自宅療養して、年明けから無理やり仕事復帰をしたわけだけど、その後もだらだらやっていたこともあり、1年くらい落屑は続きました。脱ステ後1年経って年末に実家に帰ったときに、母に全然治ってない入院してちゃんと治してくればと言われて、脱ステ治療で有名な大阪の阪南中央病院の佐藤先生の元へ行ってみたのが2013年1月。

 

佐藤先生の元へ行く前に、佐藤先生の提唱する脱ステ・脱保湿を実施してみた。それまでの1年、保湿は行ってきていたので、ついに脱保湿もやってみることに。初めの3日くらいは、体液が固まってできたかさぶたのような箇所が、カッターで切れ目をいれられたような切り傷のような痛みで辛かったけど、それからぽろぽろかさぶたが剥がれだして、剥がれた箇所の皮膚が、皮膚らしくなっていた。体液がでない。なんなら、これ、大阪いく必要ないかも?と、自分でも快方に向かってるのでは?と思うほどにはなっていた。けどまあせっかくなので、大阪へ飛んでみた。

 

待合室にいるとき、周囲の患者さんをみて、この人たちもみんな脱ステしてるような人々なのかなーと思ったりしながら。待合室には脱ステ闘病記みたいな手書きの本もあって読んで待つ。

 

いざ佐藤先生の元へ。もうじきに良くなるよ、入院の必要はないよ、との言葉をいただき、思わず泣いてしまう。病気って、いつ治るのか先の見えない不安がとても大きくて、その道のひとに大丈夫だよ治るよと言ってもらえると、とっても安心するんですよね。どれだけネットでブログを読んだり、情報を漁ったりしても、その道の詳しい人に直接治るよと言ってもらえることの安心感たるや。大阪まで行ったの無駄じゃなかったな、と。この言葉をもらうために行ったのではないかというほどに。

 

その後、1ヶ月後くらいにもう一度だけ経過観察的な名目で大阪へ飛んだけど、その時には相当良くなっていたような気がする。曖昧。

 

あれ?2度目のリバウンドについて書くつもりだったのに、脱ステ開始時のことを思い出しつつ、つらつら書いてたらいい感じの長さになってしまったので、今日はこの辺で終わりにしましょうかね。

Can you speak English?

 

I can speak English ... a little?

 

平昌五輪で羽生くんが英語で回答してたり、カーリング女子がコーチと英語で話してるのとか見ていたら、やっぱ英語で話せるってかっこいいなー!って思ったところが始まり。数年ごとに英語で話したくなる病がくるわけだけど、数年ぶりにやってきた。

 

今年は海外旅行にも久しぶりに行きたいと思ってるし、2年後は東京五輪だしボランティアとかやってもいいなーとか思ったりとか。あと、住んでいる街の外国人と交流したいっていうのもある。Youはどうしてわが街へ?ってのがすごく気になるから、いつも外国人みかけると、ううう聞きたいってなるけど聞けるほどの英語力を持ち合わせておらず。

 

とりあえず先週から単語学習アプリと文法学習アプリとNHKの英語ニュース聞けるアプリは入れた。とりあえず思い立ったので動いてみたけど、飽き性だけどなんとか頑張って、せっかくなのでTOEIC受験までこぎつけてやりたいが、いかに。

 

TOEICで言えば、一番弱いのがリスニングなんだろうな。とにかく昔からリスニングが弱いんだたぶん。大学受験もリスニングが出来てなかった記憶あるし。単語と単語が繋がってる感じで聞こえる→知らん単語と化す→何言ってるかわからん。聞いたものをどうやって脳内で変換していけばいいかが掴めてない。

 

自分の苦手なところはわかっているので、そこをなんとかね、攻略したいね。いま時間あるときなので、この勢いでなんとか。

 

この辺りで1つしかないMeetupに参加するための質問3つに英語で答えなきゃならんので、参加以前のところを攻略できるよう単語力と文法力をあげつつ、何言ってるかわからんけど英語を聞いておく感じでゆきたい所存。

 

そして関係ないけど、米津くんにいよいよはまりだした...前から数曲だけ聞いてたけど、ようやくアルバム曲とかも聞けるようになってきた。今週ずっと聞いている。ベタなんだと思うんだけど「アンビリーバーズ」と、アルバム曲の「Blue Jasmine」あたりが好き。

 

とかいいつつ「LOSER」とか最新曲「Lemon」も好き。アルバム「Bremen」に好きな曲が多いかも。妹が好きらしく、ゆるっと聞い始めた米津くんですが、遅ればせながら姉もハマりました。

 

食べることは生きること

 

いつ誰が言ったかわからないけれど、そうだよなぁと思っている言葉。「何を食べるか」というのはとっても大事。超大事。食べたものが自分の体を作っていく。特にいま、脱ステによる2回目のリバウンドのため、日々体感しているところであります。

 

とりあえずマグロが効いている気がしている。脱ステについては備忘録も兼ねて今後書いていきたいところ。

 

とかいいつつ本当は「何を食べるか」より「誰と食べるか」の方が、もっと大事なのかもしれないと思っていたり。幼少期、祖父母・両親・兄弟2と私という三世代家族で食卓を囲んでいました。だから食事はみんなが集まるのを待って、テレビをBGMに、今日あったことを話しながらワイワイ食べるものだと、今でも思っています。し、その時間が好きでした。

 

1人暮らしをしていて、しかも自分で作ったご飯をもぐもぐと食べる時間というのは未だに慣れないし、虚しさ・味気なさを感じてしまいます。それこそ、シェアハウスにいたときは、みんなで料理を作って、みんなで集まっていただきますをして、みんなでワイワイ食べて、みんなで片付け、という日々は最高だったなぁ。大好きな時間でした。

 

と、いうわけで、サンジくんお誕生日おめでとう!連載開始時から大好きです。今ではもうサンジくんの年齢を超えているけど、くん付けがやめられません。サンジくん。ずっと大好きです。タイプです。これからも一味のために、美味しい料理を作り続けてください。そして心優しき料理人でいてね。まだ88巻は読めておりません。

 

私もサンジくんを見習って心優しき料理人となり、胃袋をつかんでやろうそうしよう。そして家族を作って、ワイワイした食卓を作る!